オタクだから語りえること

 軍事オタクが戦争について語る――一般的に言えば、そんな内容の本が好きな人は本当に少ないでしょう。「そんなの、戦争賛美のウヨク本に決まってるじゃん」と、ページを開こうともしない人もいるのではないでしょうか。
 でも、本当にそうでしょうか。ひょっとすると、そういう本にこそ、何がしかの真理が潜んでいるのではないでしょうか。


 『戦争のリアル  Disputationes PAX JAPONICA』(著者/押井守岡部いさくエンターブレイン

戦争のリアル Disputationes PAX JAPONICA

戦争のリアル Disputationes PAX JAPONICA


 この本は、『攻殻機動隊』『スカイ・クロラ』を手がけた高名な映画監督であり、また知る人ぞ知るミリタリーマニアである押井守さんと、アニメの設定考証なども手がけるユニークな軍事評論家である岡部いさくさんが、軍事オタクの観点から戦争について語り合う異色の対談本です。
 これがもう、ひたすら押井監督の兵器にまつわる薀蓄とか与太話しかない(笑)。その内容もディープかつ多岐にわたり、ハリアーは日本人に似合うから自衛隊は採用するべきと言ってみたり、それこそ自衛隊ラプターじゃなくてスホーイ30を採用するべきなんだと理不尽なことを言ってみたり。そんな監督の脱線しまくりの語りに岡部さんもただ笑うほかない、といったところもあります(それでも、本職の軍事評論家だけあって、ときどき的確なツッコミをしてくれていますが)。「自衛隊はRPG-7を採用するべきなんだっ」という押井さんの意見には、「それはちょっと……」とぼくも思わずにはいられませんでした(笑)。
 ですが、そういった与太話をヘラヘラ笑いながら読み進めていくうちに、自分の中に確固としてあったはずの「戦争観」が少しづつ崩れていき、最後にはそれが妄想でしかなかったのではないかと思えてくるようになると、とても笑っていることはできなくなります。特に、「敗者であることの誘惑」に勝てず、「妄想としての戦争」に囚われ、結果として「戦争から疎外された」ぼくたち日本人は、すでに「戦争のリアリティ」を喪失し、戦争をリアルに語りえなくなっている……という押井さんの主張には無気味な説得力がありました。かつて、防衛大臣を務めた某政治家のことを、多くのマスコミや知識人は「軍事オタク」と呼んで嘲笑しましたが、そんな彼らは果たして「リアルな戦争」を思考しえたのか?いやそもそも、この国の中で、戦争について「リアリティ」を持って語れる人間は(ぼくを含めて)果たしてどれだけいるものか……そういうことを考えたとき、この本をただのオタクの戯言と一蹴することができるでしょうか。本の中でもネタにされていましたが、戦車と自走砲を取り違えて平気でいられるような記者の書いた記事が果たして信用に値するかと考えたとき、「戦争のディテール」について少しでも知識を深めておくことは決して無駄なことじゃない……と思えるようになるでしょう(そうはならないかも知れませんが)。
 この本に書かれていることが全て正しいわけではありません。しかし、根本の姿勢においてこの本は間違っていない……とぼくは思います。結局、戦争について語りうるのは、それに対して歪んでいてもなんであっても興味を持ち、思考を巡らしている人間だけであるということなのです。そして、そんな物好きなことを喜んでやっているのは、恐らく政府の専門家を除けば在野の軍事オタクくらいなものでしょう。
 だから言えるのです。オタクにのみ語りえることが確かにあるのだ、と。