ヒグマの恐怖

 北海道天塩国苫前郡苫前村三毛別六線沢
 あなたはこの地名を知っているだろうか。ここで何があったか知っているだろうか。
 ぼくは知らなかった。ついこの間まで、ぼくはその地名について見たことも聞いたこともなかった。ましてや、そこで何があったかなど知る由もなかった。
 今から紹介するのは、今から一世紀ほども昔、その地で起こった身の毛もよだつ凄惨な事件を克明に記録した、第一級のドキュメント・ノベルだ。


羆嵐(くまあらし)』(著者/吉村昭新潮文庫

羆嵐 (新潮文庫)

羆嵐 (新潮文庫)


 題名にもなっている「羆嵐」とは、ヒグマが猟師に仕留められたときに吹く強風のことであるという。この「羆嵐」は作品の中でも印象的な使われ方をされており、まさにこの小説の白眉というべき名場面となっているのだが、未読の方の興を削ぐといけないので詳述は避ける。
 この小説は、大正12年4月に発生した国内最悪の獣害事件、三毛別羆事件ウィキペディア記事はこちら)に材を取っている。この事件では6人の人命が奪われたが、その内4人はまだ頑是無い子どもだったという。残る2人は女性で、その内1人は妊婦だった。かかる非常事態に、近隣集落の住民や警察官から成る討伐隊が組織されたが、ヒグマを仕留めることはかなわず、地元住民の恐怖は、件のヒグマが地元のヒグマ専門の猟師、「銀オヤジ」こと山岡銀四郎に射殺されるまで続いたのだ。
 本州に住むぼくにとって、ヒグマは縁遠い動物だ。時折動物番組に出てくるヒグマは、恐ろしい存在として描かれることはあまりないし、ヒグマが人を襲っただの食べただのという話を聞いても、正直言ってあまり現実味はなかった。何といってもヒグマは本土にいないのだ。鮭を頭から貪り食うヒグマの姿をテレビで見ても、せいぜい「ヒグマってワイルドやな〜」と思う程度でしかなかった。ぼくの想像力などその程度でしかない。
 しかし、作中で描かれるヒグマ獣害の凄まじさを読めば、とてもそんな呑気なことは言っていられない。子どもだろうと老人だろうと妊婦だろうとお構いなく、一片の慈悲もなく叩き殺されるか、あるいは生きたまま頭から食われる。闇の中、ヒグマが強靭な顎で人骨を噛み砕く無気味な音が鈍く響く場面のおぞましさったらない。人間の尊厳など知ったことかと言わんばかりの、鮮血と掛け値なしの恐怖に彩られた凄絶なる蛮行。なんとまあ、ヒグマってこんなに物理的に恐怖な奴らだったのかよと認識を改めることしきりである。ヒグマ親子の鮭獲りシーンで和んでいる場合ではない。彼らにとって、鮭と人間とのあいだに大きな違いなどないのである。
 それにしても、この小説はやたらと内容が映画じみている。不謹慎を承知であえて言うなら、まるでB級モンスター映画みたいだ。調子のいいことを言うだけ言って、いざとなったらビビッてしまっててんで役立たずの討伐隊やら、整備不良でうんともすんともいわない銃を抱えて慌てふためくハンター(大藪春彦ならにべもなく切って捨てるだろう)やら、地元住民の警告を無視して山狩りを決行する警察署長やら、妙に「お約束」を外さないのである。「そんなB級映画みたいなこと起きっこないって」とはよく言うが、してみると案外とああいった映画の描写は的外れではないのかも知れぬと思った次第。そんな、未知の脅威にさらされた人間たちが無様な恐慌に陥っていく様子を、筆者はほんのわずかのためらいも見せず、冷徹で容赦ない筆致で克明に描き出す。その徹底したハードボイルドなスタイルも、映画的な雰囲気に一役買っているのかも知れない。
 そして何より、物語の後半、六線沢の住民が呼び寄せた伝説のヒグマ撃ち、銀オヤジの強烈な存在感。こう言ってよければ、まるでゴルゴ13である。あるいは、稲見一良風に言えば、「峯の上の固陋な鷲」とでも表現できそうな孤高の男である。討伐隊の連中とは比べものにならぬほどの凄みというか、迫力があった。ヒグマの習性を熟知し、狡猾を以て鳴るヒグマの裏をかく熟練のプロフェッショナル・ハンターと、凶暴な人食いヒグマとの対決場面の描写は息詰まるほどで、手に汗握る迫力に満ち満ちている。この小説は2度映像化されたそうだが、それもむべなるかなである。
 しかし、この話を読んでつくづく感じるのは、圧倒的な闇の存在感だ。日が落ちた後の村を圧し包む闇の圧迫感といったら、まるで物理的な圧力すら感じるほどである。現代文明の恩恵を目いっぱいに享受してきた世代の人間であるぼくにとって、それは経験したことのない未知の脅威だ。強いてそれに近い経験をあげるとするなら、以前山登りしたときに体験した、ぞっとするほどに底深い夕闇が押し迫ってきたときだろう。あれは本当に怖かったものだ。増して、電灯も何もない中で迎える真の闇の中の恐怖ときたら、完全にぼくの想像を絶している。現代文明に庇護されて育ってきた甘っちろい人間であるぼくには、それがヒグマ以上に途方もなく無気味な化け物のようにすら思えた。そしてまた、夜の闇を味方につけて、どこからともなく現れ人間を襲うヒグマのありさまはどこか超常の怪物を見ているようで、世に言う妖怪や化け物というのは、案外こういった、夜陰に紛れて襲いかかってくる野獣の姿から想像されたものかも知れないと思わせる。
 ラスト近く、ヒグマが討ち取られたあとに吹きすさぶ羆嵐も、そうした想像をたくましくさせる。びょうびょうと吹き荒れる風の音は、ひょっとすると死せるヒグマの魂を慰める天塩の山の神の惜別の声ではないか……とすら思えてしまうのだ。ラスト、六線沢集落が辿った末路を見ると、ますますその思いは強くなる。天塩の神が祝福したのはヒグマであり、人間はここでは歓迎されざる余所者でしかなかったのではないか……と。

 この小説は壮絶な恐怖と暴力に彩られた、途方もなく惨酷な話である。それでも、我と思わん方はぜひ本書を手に取って、じっくりと読んでみて欲しい。
 そうするだけの価値は、絶対にある。